第十四回 私の一番重かった責任
子供の頃から80才の現在に至るまで色々な責任を負って来ました。
自分の部屋を掃除する責任。母が帰るまでにお米を研いでおく責任。今考えると大した責任ではありません。でも、子供の頃は忘れないようにと何時も自分に言い聞かせていました。学校でも、与えられた委員の役割に応じた責任がありました。これも今考えると大したことではありませんでした。
社会人になってからは会社で与えられる仕事に対しての責任がありました。これは報酬を受けとっていることと引き替えですから責任は少し重くなりました。でも、最悪会社は辞めることが出来るのですから、気持ちの上でまだ余裕がありました。
暫くして結婚しました。急に家庭内での仕事が増え出し、それに付随して責任も増えました。食事の支度、掃除、洗濯、近所付き合いなどが加わりました。でも、未だ余裕がありました。サボることができました。
やがて子供が生まれました。さあ、ここからが大変です。手抜きの出来ない責任を負うことになったのです。
先ず、産むところからです。だれも代って産んではくれません。宿った子供をこの世に送り出すのは否でも応でも私の仕事です。逃げられないのです。出産の痛みを想像するだけで気が遠くなりそうでしたが、でも逃げられないのです。この時初めて、逃げられない重い責任がある事を知りました。不安と恐怖が襲いました。でも、何とかこれをクリアした時の安堵と謂われのない自信。”弱虫の私が、出来たのだ!“という喜び。いまでも忘れません。
でも、でも、それからが大変です。小さな命を殺してはいけない。守らなければいけないという責任が芽生えました。2700グラムで生まれた赤ん坊は一週間経つと2470グラムと体重が減り、お乳が吸えませんでした。何とか飲ませようとしても、眠ってばかりで飲まないのです。お乳を飲まないと、このまま死んでしまうのでは?と怯え、熱が出ると死んでしまうのではと不安に思い、一歳の誕生までは張り詰めた毎日でした。何があっても私の責任という思いからピリピリしていました。
第二子は経験があり、生まれたときの体重も重かったので不安を持つことはありませんでした。ゆったりした気持ちで育てることが出来ました。でも、全てが私の責任という思いは同じでした。経験したことのないこと、命に関わると思えることが起こると胸がばくばくしました。
子どもたちの成長と共に生命に対する不安は少なくなりましたが、子育て、教育にまつわる責任は逃れることが出来ず、何かと緊張を強いられました。
こうした責任から解放されたのは、18才で子ども達が家を出た時でした。親から離れ別のところで暮らすようになってからはお金の責任はありましたが、見えないところにいる以上、日々の暮らしの責任はなくなりました。見えないところにいる以上どうすることも出来ないのです。全て、上手く行っていると信じているしかありませんでした。それでも折に触れ、どうしているだろうという不安、何かあったら親の責任と思う気持ちはありました。
こうした親の責任から完全に解放されたのは彼らが就職して、自分の口を自分で養っていけるようになった時です。実にホッとしました。もう私は何時死んでもいいのだ!と思ったときの開放感。肩の力が抜けました。それまでは、絶対死んではいけない!と自分にプレッシャーを掛けていたのです。親鳥が雛の飛び立ちを促し、見まもる。その気持ちが実によく分かりました。
親としての責任から解放されると心が解き放たれ、自分が自由になっていくのが分かりました。もう何をしてもいいのです。子どものために自身の死を恐れることは無いのです。その時私は53才でした。以来、どんどん身が軽くなっていきました。と同時に責任を果たしたことから来る自信が私を強くしてくれました。自由と自信。一番重い責任を果たしたことが私にそれをくれたのです。
これからは自分自身に対しての責任があります。命果てるまで自分の面倒を自分でみるという責任です。でも、パートナーと支え合って生きていけるのはありがたいことです。年を取るっていいな~と今は心底思っています。肩の力が抜けて、好きなことをして生きていられるのは年寄りに与えられたご褒美でしょうか?
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