第十二回 異文化間カップルの直面する問題(その二)
愛情表現の違い
異文化間カップルの戸惑うひとつが愛情表現の違いのようです。関係を深めていく中で経験する情熱的な言葉やセックスなどはある意味素敵です。「一生こういう関係でいたいな~」と思うかもしれません。
ところがいざ一緒になり、時がたち、子供が生まれ忙しくなってくると、日本文化の中で育った女性や男性は子供や仕事が第一になりがちです。義務を優先する人が多いようです。私の役目、僕の役目をきちんと果たすのが第一と考え、パートナーも同じ気持ちでいると思い込んでしまうのでしょうか。カップルとしての触れ合いや言葉はなくてもお互いに気持ちは分かっていると考えます。共働きで、子供を持ち、家事もこなし、その上セックスなんて無理、無理と言う女性。仕事で毎晩10時、11時に帰ってきて、翌朝は7時に家を出る生活でいつセックスなんて出来るの?疲れ切っているのは分かるでしょう。という男性。同じ文化背景を持つカップルなら、まあ、仕方ないなと納得するかもしれません。でも、異文化カップルの間ではそうはいきません。殊に西欧文化を背景に持った人たちにとって大切なことは生活そのものです。毎日が幸せでない、不満がある人生を仕方ないで済ますことは出来ません。幸せでないのは何故?幸せになるために何を変えたらいいの?と考えます。
彼らにとって一番大切なことは二人の関係の充実なのです。子供も仕事も勿論大切ですが、人生の基盤は二人の関係です。その核の部分が幸せでなければ、人生そのものが空虚です。これはなんとかしなければなりません。忙しすぎるのなら仕事量を減らしたり、互いにシェアしたり、時には仕事を変えることさえ考えます。問題があるなら解決の手段を探そう、考えようと言うのが彼らの生き方です。
一方、日本文化に慣れきった人は子供が小さい内はしょうがないんじゃないか。家庭を支えるために仕事が忙しいのは嫌でも我慢しなければと現状肯定的です。この考え方の違いを徹底的に言葉で話し合い、互いが納得すれば問題はありません。でも、十分な話し合いが無ければ、どうしてパートナーは分かってくれないのかとだんだん気持ちが離れていきます。私は(僕は)家族を愛しているからこそ頑張っているのにどうして分かってくれないのか?と思い始めたら危険信号。歩み寄りが難しくなります。
この二人の違いは何故起こるのでしょうか?私のところに来られる方たちは、文化の違いと捉える人が多いようです。昔はあんなに情熱的だったのに。毎晩のように求めてきたのに。優しい言葉にあふれていたのに。と片方が思えば、もう片方は、いつまでそんなことを言ってるの。状況が違うのよ。子供がいるのよ。仕事が忙しくなってきたのよ。甘えないで!と手厳しく相手を責めます。今はしょうがないでしょう!子供が大きくなったら、時間に余裕が出来たらまたそうできる!それまでの辛抱。という考えなのかも知れません。
でも本当でしょうか。10年もセックスレスの続いた夫婦が中年になって、急にまた若い頃のようにセックスを楽しむことが出来るのでしょうか。片方はそれが出来ると考え、中年になって急にすり寄っても相手はびっくりします。今更どうしたのと言われると言われた方は間が悪くなり、引いてしまいがちです。10年間のブランクは二人の間に見えない、時には見える溝を作り、それぞれがそれぞれの異なる人生を歩いてしまうこともあるのです。
James Lange説という理論をご存じでしょうか。これはアメリカの心理学者ジェームス(W. James)とデンマークの心理学者ランゲ(C. Lange)とによって、別の場所で同じ頃に唱えられた情動の本質についての考え方です。
それまでは、何らかの刺激に対して→情動が動き→それが身体変化を起こすと考えられていましたが、彼らは何らかの刺激によって先ず→身体変化が起こり→それが情動を引き起こすと考えたのです。それを彼らは「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」と表現しています。
これでいくと、身体的な接触、言葉による気持ちの通い合いが先ずあって、そのことによって愛している、大切な人だという情動が引き起こされる。二人の間に身体的な接触や気持ちの通い合いがなければそうした情動は生まれないということになります。友達との間でもいつも一緒に行動し、一緒にお弁当を食べていれば、仲良しという気持ちが生まれます。仲良しだからお弁当を一緒に食べるのではないといえるかもしれません。
愛し合って一緒に生活をすることはゴールではありません。本当の意味でのカップルになっていくスタートラインなのです。短距離ではなくマラソンのスタートラインです。互いに努力し、少しずつ関係を密にしていく中で他にはない素敵な関係を作ることができるのです。全て二人の意思と努力次第です。
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